門司の建築めぐりにはレンタサイクルを利用。電動アシストなので楽チンだった。 |
走り出したらすぐ隣に路面電車が置いてあったので、とりあえず撮影。 早く建物を見たいので、すぐ次に向かう。 |
最初の建物はこちら、「NTT門司」。現在は、「電気通信レトロ館」となっている。 ストリームラインって言うんじゃなかったかな?。カッコイイし、美しい。 こういうのが僕は好き。 |
北九州市門司区浜町4−1。1924年(大正13年)。山田守。 |
「福岡中央銀行門司支店」(旧藤本ビルブローカー銀行門司支店)。向かいに新店舗ができたため、
解体される可能性があるらしい。 北九州市門司区浜町2−18。1924年(大正13年)。武田吾一。 |
見たかった建物が解体されていたので、門司港レトロに戻ってきた。レンガが眩しい
この建物は、「旧門司税関」。 北九州市門司区東港町1−24。1912年(明治45年)に建てられた建物を1994年に修復。 |
旧門司税関の向かいにある美しい建物は「国際友好記念図書館」。「ロシアが大連に建てた東清鉄道
の事務所を複製して建てられた」…とか。道理で綺麗なはずだ。 北九州市門司区東港町1−12。 |
再び後ろを振り返って旧門司税関を正面から撮影。逆光が悔しい。 |
門司港レトロ。確かにレトロな建物がいくつも見える。天気が良いし、日曜なので賑わっていた。 |
旧門司税関の裏側。順光なので綺麗に撮れた。レンガが一様でないなぁ。違うレンガなのか、 違う積み方なのか。 |
背の高いビルは、「門司港レトロハイマート」という高層マンションだそうだ。 設計者はあの黒川紀章。 |
「ホームリンガー商会」。右側の増築部分がみっともないけど、配色がお洒落な建物だ。 1962年(昭和37年)改修。北九州市門司区港町9−9。 |
「旧大阪商船」。解体寸前で市が買い取って修復したそうだ。美しい建物だが、また逆光…。 北九州市門司区港町7−18。1917年(大正6年)に建てられたものを修復。河合幾次。 |
裏側はこんな感じ。とあるサイトによると、手抜きしたらしい(笑)。 |
「門司港駅」。門司に着いたときはレンタサイクルを借りるのに急いでいたため撮影しなかった。 これまた逆光。噴水で遊ぶ子供たちが微笑ましい。 |
ちょっと近付いてみた。 北九州市門司区西海岸1−5−31。1914年(大正3年)。 |
門司港駅の向かいに建つ「門司郵船ビル」。改装前には外壁に装飾が付いていたらしい。
コンビニが組み込まれていて古そうには見えないが、中がレトロだったことを帰ってから
知った…。見ておけば良かった。 北九州市門司区港町7−8。1927年(昭和2年)。八島知。 |
「旧門司三井倶楽部」。僕の好きな様式ではない。これも改装されているようで、綺麗。 北九州市門司区港町7−1。1921年(大正10年)。松田昌平。 |
旧門司三井倶楽部の向かいに建つ「旧三井物産門司支店」。上の建物よりはこちらの方が好き。 改修するのか、解体するのか、微妙な雰囲気。 |
一時期、JR九州の本社だったこともあり、JRのプレートが残っている。装飾も面白い。 北九州市門司区西海岸1−5−2。1937年(昭和12年)。松田軍平。 |
自転車で大通りに戻って、角に建つ立派な建物を見学。「山口銀行門司支店」(旧横浜正金銀行
門司支店)。美しい。 北九州市門司区清滝2−3−4。1934年(昭和9年)。桜井小太郎。 |
門司区役所に向かう途中にある「九州鉄道記念館」。かつての九州鉄道株式会社本社。
レンガの建物はそれほど好きではないし、中には入らなかった。 北九州市門司区清滝2−3−29。1891年(明治24年)。 |
途中で見つけた階段。上の団地に続いているみたいだ。レトロに感じたのでとりあえず 撮っておいた。 |
これが絶対に見たかった「門司区役所」。逆光が悔しい。左右対称で、丸みを帯びた角が好き。
そしてその角に窓を配置するところが、「モダン」に思える。 北九州市門司区清滝1−1−1。1930年(昭和5年)。倉田謙。 |
存在感抜群。カッコイイ。日曜日なので中には入れなかった。 |
順光になるよう、裏に回ってみた。なんだか複雑な構造…。 |
門司税関第1号上屋を探して海岸通りを走ったが発見できず。 途中で門司区役所が遠くに見えたので、望遠で撮影した。 |
門司港駅の方に戻ってきた。見落としていた建物を発見。「旧福岡銀行門司支店」(今は
結婚式場兼レストラン)。思っていたほど古い建物ではなかった。 北九州市門司区港町2−21。1950年(昭和25年)。 |
側面。 |
自転車を返却し、駅のほうに向かって歩いた。広場でのバンド演奏。のどかな休日だ。 |
友好記念図書館の側面。よく見ると、ごちゃごちゃしている。 |
そして再び旧門司税関。 |
まだ逆光。 |
ブルーウイング辺りから見ると、友好記念図書館と旧門司税関がこのように見える。 |
最後に、見納めの門司港駅。博多に向かう。 |
博多駅にて、停車中の特急。JR九州の車両はカッコイイなぁ。 |
博多駅からバスに揺られて郊外へ。バスを降りたら目の前にこの光景。高まる興奮(笑)。 |
これも是非見たかった「志免竪坑やぐら」。解体するにも巨額な費用がかかるため、 今日まで残ったらしい。 |
威圧感が凄い。不気味にも感じる。 |
近くにはこのような産業遺産も残っている。これは「第八坑連卸坑口(だいはちこう つれおろしこうぐち)」。傾斜角は30度だそうだ。 |
竪坑の回りを1周する。 |
重要文化財に指定されたらしい。保存されるということで一安心。 |
430メートルの深さまで掘っていたとは、驚きだ。 |
すぐそばには公園があって、日曜日ということもあり、子供達が遊んでいた。 |
足元を拡大。コンクリートが剥がれて鉄筋がむき出しになっている。痛々しい。 |
来たときと同じ道を帰る。振り返ると、竪坑やぐらが僕を見下ろしていた。 |
時間が少し余ったので、博多駅から歩いて「福岡県立福岡高校」へやってきた。日曜の
夕方なので閑散としていたが、立派な建物に感動した。 博多区堅粕1−29−1。1929年(昭和4年)。三条栄三郎。 |
門柱も凝っている。入りたい衝動を抑えて、門の外から見ただけ。 |
1泊目のホテルは「デュークスホテル博多」。1階ロビーにはハーブが置いてあったり、 とてもお洒落。 |
駅ビル「デイトス」の中にあるラーメン屋で食べた、本場の博多ラーメン。おいしかった。 |
食後、ホテルに戻ってきた。これがエントランス。 |
翌朝、出発時に撮った外観。前の道路は工事中。 |
八幡駅で下りて国道沿いに少し歩いたところにある、「旧百三十銀行八幡支店」。今は ギャラリーとして利用されているみたいだ。改修されていて、綺麗。 |
北九州市八幡東区西本町1−20−2。1915年(大正4年)。辰野金吾。 |
←…ということだ(笑)。 |
大谷会館に向かう途中で見つけた建物。これは凄いぞ。しかし詳細不明。 |
上の写真の建物のすぐ近くにある集合住宅。誰にも取り上げられることなく、静かに 姿を消していくのだろう。 |
だいぶ歩いて、ようやく着いた「大谷会館」。美しいシンメトリー。 |
北九州市八幡東区大谷1−2−4。1927年(昭和2年)。 |
車寄せを備えた立派な建物。八幡製鉄所の社員クラブとして建てられた建物だが、今では 結婚式などで誰でも利用できるらしい。 |
柱の上の方にはタイルが貼ってあり、装飾も細かい。いい建物を見ることができた。 |
期待していた「徳養寺」は、建て替えられていて魅力減。 |
以前の建物は1915年(大正4年)竣工。2004年に解体されたらしい。 八幡東区山王1−6−2。 |
バスに乗って戸畑へ移動。「旧戸畑区役所」(旧戸畑市役所)。これも美しい。安定感の
あるデザイン。 北九州市戸畑区新池1−1−1。1933年(昭和8年)。 |
戸畑駅の北にある「旧共同漁業ビル」。それほど古くないように見える…、ということは、
建てられたときには新鮮だったのだろう。 北九州市戸畑区銀座2−6−27。1936年(昭和11年)。 |
上の建物は海に面して建っている。対岸の若松地区が見える。古い建物が数軒、右端に 渡船と若戸大橋。 |
渡船に乗って若松地区に向かう。 |
若戸大橋の真下に建つ「朽木ビル」。「とちき」と読むそうだ。設計者は旧門司三井倶楽部
を手がけた人だとか。調べたところ、当時としては進んだビルだったことがわかる。 北九州市若松区本町1−5−10。1920年(大正9年)。松田昌平。 |
一回りして海岸に戻ると、海に通じる階段を見つけた。 |
階段を上がった先には小さな神社が、階段の脇には古そうな小屋が建っている。 |
説明によると、ここで積荷の積み下ろしをしたらしい。「ごんぞう」とは、 荷揚げ荷下ろしを行う沖仲仕(おきなかし・港湾労働者)のことだそうだ。 小屋は「ごんぞう小屋」でごんぞうの詰所を模して建てられた休憩所だとか。 |
帰宅後に知ったことだが、ここ若松はかつて日本一の石炭積出港だったそうだ。 |
好きな形ではないけど、この地区を代表する建物である「石炭会館」。 北九州市若松区本町1−13−15。1905年(明治38年)。 |
これはまた美しい「旧古河鉱業若松ビル」。難点は美しすぎるところ。改修してあるので
魅力半減。でも解体を免れたということは良いことだ。 北九州市若松区本町1−11−18。1919年(大正8年)。2003年〜2004年に改修。 |
海の方を見ると、対岸の建物が良く見えた。旧共同漁業ビルを望遠で撮影。 |
渡船場に戻る手前に古めかしい建物を発見。「上野ビル」。左の倉庫には三菱のマークがある。 テナント募集中だ。入りたい(笑)。 |
三菱合資会社の若松支店として建てられたそうだ。玄関部分と屋上は改装したもので、
元々は塔もあったとか。見てみたかった。存続は厳しいかな?。 北九州市若松区本町1−10−17。1913年(大正2年)。保岡勝也。 |
若戸大橋をバスで渡って小倉に戻り、JRで博多へ。駅ビル「デイトス」内のカレー屋で 食べたドライカレー。疲れていたし、美味しかった。 |
地下鉄西新駅から歩いてすぐ。今は「西南学院大学博物館」として中を見学できる。 福岡市早良区西新3−13−1。1921年(大正10年)。W.M.ヴォーリズ。 |
空は青いし、花は綺麗だし、レンガも眩しい。 |
着工は1920年。 |
レンガ造りの3階建ては珍しいらしい。 |
2004年から2005年にかけて耐震補強・復元改修工事が行なわれ、 学院創立者のC.K.ドージャーを記念して、ドージャー記念館とも呼ばれているとか。 |
この建物は外観を撮影するだけでなく、内部を見学してみた。木製の階段は、 中央部が凹んでいる。 |
2階の講堂にはパイプオルガンも備え付けられていた。 |
1階の通路。歩くたび、木製の床がギシギシと音を立てる。 |
地下鉄で2駅戻って、大濠公園駅で下車。地上に出てすぐ。「福岡簡易保険事務センター」。 福岡市中央区大濠1−1。1934年(昭和9年)。 |
裏側。所々に丸窓もあった。 |
池の東側を半周ほど歩いて、振り返るとこう見える。 |
次の目的はこれなんだけど…、木に隠れてうまく撮れない。 |
近付いてフェンス越しに見上げるとこんな感じ。丸窓がポイント。「福岡管区気象台倉庫」。 福岡市中央区大濠1−2−36。1939年(昭和14年)。 |
西側側面。近付きたい気持ちを抑えて、敷地内には立ち入らず。 |
南側は面白くない。 |
バスを待っているときに目の前にあったので撮った現代建築。「福岡大学付属大濠 中学・高校」。総工費85億円で4月14日に完成とか。 |
バスで2駅移動して、「日本基督教団福岡警固教会」を見学。 |
夏には蔦で覆われるみたい。竣工当時は立派に見えたんだろうなぁ。 福岡市中央区警固2−11−20。1929年(昭和4年)。中村鎮。 |
礎石は昭和3年だ。 |
教会から歩いて「福岡市立大名小学校」に着いた。戦前に建てられた立派なコンクリートの学校建築。 興奮して撮影を続けようとしたら…、デジカメのバッテリー切れ。 |
やむを得ず携帯電話のカメラで撮影。画質が悪い。その上、逆光。 |
正面に回ったけど、これ以上は入れなかった。 福岡市中央区大名2−6−11。1929年(昭和4年)。 |
この日の夕食も、博多ラーメン(ワンタン入り)。ホテル近くのラーメン屋にて。 |
2日目の宿。「ダイワロイネットホテル博多祇園」。 |
3日目の散策開始。1件目は「日本銀行福岡支店」。 福岡市中央区天神4−2。1951年(昭和26年)。 |
裏に回ってみた。銀行らしい重厚なつくりだなぁと思った。 |
「福岡市赤煉瓦文化館」(旧日本生命保険九州支店)。 福岡市中央区天神1−15−30。1909年(明治42年)。辰野金吾。 |
明治のレンガ造りはそれほど好きではない。しかし堂々として立派な建物だ。 さすが辰野さん。中には螺旋階段もあるらしい。見てみたかった。 |
近代建築ではないけれど、見てみたいと思っていた建物がこれ。「アクロス福岡」。 福岡市中央区天神1−1−1。1995年(平成7年)。 |
建物と、前にある公園は、旧県庁の跡地だそうだ。 |
横から見ると、階段状になっていることがわかる。一段一段が緑化されている。 ステップガーデンと呼ぶそうだ。 |
アクロス福岡のすぐ近くにある、「旧福岡県公会堂貴賓館」。 福岡市中央区西中洲6−29。1910年(明治43年)。三条栄三郎。 |
改修されたようで、外壁が綺麗。 |
丸窓、アーチ窓、車寄せ、塔屋。ポイントは揃っているけれど、屋根が僕の好きな形ではない。 |
たまたま見つけた建物。それほど古くはないけれど、ストリームラインが特徴。無くなりそう。 |
上の建物のすぐ近く。「大洋映画劇場」。丸みを帯びた角が好き。 福岡市博多区中洲4−6−18。1946年(昭和21年)。 |
先に裏側を見てしまった。「日本福音ルーテル博多教会」。丸窓にはステンドグラスがはまっていた。 |
福岡市須崎町3−9。1948年(昭和23年)。W.M.ヴォーリズ。 |
地下鉄で移動して、いよいよ九州大学の探索開始。まずは馬出キャンパスから。 |
スケールの大きなこの建物は、「九州大学医学部基礎研究A棟」。改修されて変な
配色になっている。 福岡市東区馬出3−1−1。1931年(昭和6年)。岩崎圓吾、倉田謙。 |
その脇にこんな看板が立っていた。 |
後ろの木が邪魔して見づらいけど、これがその松。他の建物はどうやら残っていないみたい なので、箱崎キャンパスに向かう。 |
箱崎キャンパスに向かう途中にある、「バプテスト東福岡教会」。 福岡市東区馬出4−13−15。1952年(昭和27年)。W.M.ヴォーリズ。 |
たまたま前を通っただけの「箱崎小学校」。門柱がレトロ。建物も、よく見ると階段室に 大きな窓があって、良い感じだ。昭和30年代の建物らしい。 |
いよいよ箱崎キャンパス。既に古い建物が見えているが、とりあえず地図を確認。黒く 塗りつぶされている箇所があって、気になる。 |
最初に見えたのがこの建物。「九州大学アドミッションセンター」。 福岡市東区箱崎6−10−1。1927年(昭和2年)。倉田謙。 |
正面から。 |
奥から。 |
すぐ向かいにはこの建物。裏側だろうけど、凄い迫力だ。これを見たら興奮して 鼻息が荒くなってしまった(笑)。同時に疲れが吹き飛んだ。 |
先ほどのものより新しい案内図。番号だけしか残っていない建物は、使われていない ということだな…。 |
さっき気になった建物はこちら、「九州大学法文学部本館」。存在感が凄い。圧倒される
ほどだ。むき出しの配管がもったいないかな。 福岡市東区箱崎6−10−1。1925年(大正14年)。倉田謙。 |
全体が入るように少し下がってもう1枚。大学本部事務所として使われたこともあったそうだ。 |
一旦外に出て、正門を撮影。こんなところに通えたらいいなぁ(←無理)。 福岡市東区箱崎6−10−1。1911年(明治44年)。 |
九州大学正門門衛所。無人だった。 福岡市東区箱崎6−10−1。1914年(大正3年)。 |
これも絶対に見たかった建物の1つ、「九州大学工学部本館」。 福岡市東区箱崎6−10−1。1930年(昭和5年)。倉田謙。 |
工学部本館に近付くときにチラッと横に見えた建物がこちら。とりあえず写真だけ撮って、 後で見る。後で気付いたが、保存図書館の裏側だった。 |
何かに似ていると思ったら、門司区役所。同じ設計者だからなぁ。 |
入るかと思いきや、また向かいの建物が気になってしまう僕…。優柔不断というか、 浮気っぽいというか、落ち着きがないというか…。これまた後で解説。 |
見上げてみた。圧倒される。 |
両脇に鳥の石像が配されている。庇の中央で上を見上げたら…。 |
このようなステンドグラスが埋められていた。 |
玄関部分もお洒落だ。 |
すぐにまた外に出て、ロータリーを挟んだ向こう側に目をやる。 |
振り返ってまた撮ってしまう。ここで何回シャッターを押したことか。 |
お待たせ。このレンガ造りの建物は「九州大学本部事務局」。 福岡市東区箱崎6−10−1。1925年(大正14年)。倉田謙。 |
この建物は、1923年に全焼した工学部本館の煉瓦などを再利用して建てられたそうだ。 |
本部事務局の前から再び工学部本館を撮る。 |
なかなか上手く撮れない。構内はあちこちに無理やり駐車スペースを取っているので、 車が邪魔。 |
これは側面。 |
これは裏側。撮ろうとすると飛行機が飛んでくるので、ついでに一緒に撮っておいた。 以降、飛行機を入れて撮った写真がいくつかある。 |
僕にとってはこれも魅力的な建物。「九州大学工学部応用化学教室」。 福岡市東区箱崎6−10−1。1927年(昭和2年)。倉田謙。 |
4階部分が本来の色で、3階以下が黒ずんでいるのは戦時中の迷彩塗装の跡だとか。 使われている形跡はなく、取り壊される日が近いのかもしれない。 |
1階の窓にはベニヤ板。上層階の窓は割れているものもある。 |
入口の上に「応用化学教室」と書いてある。見づらいけど。 |
すぐ上を飛行機がかすめて行く。大きな音に空を見上げるのは僕くらいで、 学生や職員は気にしていないようだ。いちいち気にしていたらキリがないか。 |
裏側。階段に沿って斜めに配置された窓が印象的。 |
応用化学教室の2つ隣にある、「九州大学工学部航空工学教室」。 福岡市東区箱崎6−10−1。1939年(昭和14年)。坪井善勝。 |
外壁が汚いのは、これも迷彩塗装の跡だとか。ネットで調べていると、建設中の大学 施設に米軍機が墜落炎上したことがあったとか…。飛行機とは縁の深いところだな。 |
「九州大学農学部6号館」。それほど魅力がないと思って入口に近付いてみたら…。 |
丸窓を発見!。側面にもっと魅力的なデザインがあったらしいが、気付かなかった…。 福岡市東区箱崎6−10−1。1938年(昭和13年)。 |
文系地区に行く途中の中門脇で見つけた検診車。こういうのも好き。「婦人検診車ばら 第2号」。 |
木々の中に、忘れられたかのように、ひっそりと佇んでいたのが「九州大学工学部超電導
システム科学研究センター」。長い名前。 福岡市東区箱崎6−10−1。1931年(昭和6年)。渡部善一。 |
再生・活用するつもりはないのかな。 |
上の建物から少し西に歩くと見える、白亜の建物、「九州大学工学部応用物質化学科別館」。 旧河海工学実験室との情報もある。 |
この建物も、1階の窓が板で塞がれている。解体間近かも。 福岡市東区箱崎6−10−1。1925年(大正14年)。倉田謙。 |
工学部通用門に戻ってきて見つけたのがこの建物。「九州大学保存図書館」。今は食堂としても 使われているみたいだ。 |
福岡市東区箱崎6−10−1。1925年(大正14年)。倉田謙。 |
しつこいくらいに、また工学部本館。もう少し大きなサイズでどうぞ。 |
法文学部本館の正面に回ってみた。これも、解体間近かも知れない…。工学部が キャンパスを移転することも、廃墟化に拍車をかけている。多くの建物を見ることが できて満足をしつつも、保存は厳しいことを痛感。福岡を後にした。 |
岡山駅で「こだま」を待っていたら500系だった。ラッキー。左の写真は 姫路駅で降りたときに撮ったもの。たぶん。 |
初めて訪れた姫路城。入場(入城?)が17時までなので急ぐ。 |
ゲートを入ったら、後はそれほど急ぐ必要はない。工事用のクレーンが見えるのも今だけ。 |
噂どおりの、端正な城だ。 |
ちょうど桜の時期。白鷺城には桜が似合う。 |
満開の桜と姫路城。 |
天守閣へと続く道。 |
丸、三角、四角。面白い。 |
天守閣への道のりは遠い。混んでいるから時間もかかる。 |
途中のこの位置で結構待たされた。 |
靴を脱いで中に入って、途中の階から外を見たところ。 |
上の写真は、この窓から見た景色。 |
城内の様子。 |
触れてない、撮っただけ。 |
脱いだ靴を手に提げて城内の見学。 |
急な階段の前で入城制限。上の階が空くまでしばらく待つ。 |
たしか、これが最上階から撮った写真。桜が咲き乱れている。 |
大通りを真っ直ぐ行くと、突き当りが姫路駅。 |
最上階にあった神社。お賽銭を入れて手を合わせる。 |
時間になったので、追い出されるように城の外へ出た。陽が傾いてきた。 |
途中にあった桜。城の壁には、石を落とす隙間が見える。 |
皆が写真を撮っていたので、真似して撮ってみた。 |
西日に照らされて表情が少し変わってきた。 |
わざと桜を入れずに撮ってみた。 |
ズームしてみた。 |
菱の門。 |
名残惜しいが見学終了。姫路駅に向かう。 |
次に見られるのは4年後(平成26年度)かぁ。 |
解体されることはないから、また来れば良い。 |
姫路駅に停まっていた新幹線、「試運転(Test Run)」だってさ。それだけ。 |