四国ドライブ
2011.5.1(Sun)-4(Wed)
愛車のVWゴルフで沖縄は走った。九州も少し走った。北海道も走った。本州もあちこち走った。
四国は鳴門に少し立ち寄っただけだから、ぐるっと1周してみるか。
そういう感じで四国1周ドライブを企てた。
せっかく行くのだから、気になる近代建築をチェックしておいた。
GWのうち4日間では計画通りに回りきれなかったが、建物も景色も満喫した。
※詳細はブログを参照※
[5月1日]
[5月2日]
[5月3日]
[5月4日]
※画像をクリックすると大きなサイズで見られます
淡路サービスエリアにて。天気は小雨。車の中で朝食のおにぎりを食べた。
大鳴門橋は強風のため二輪通行止。40キロ規制。吹き流しは上を向いていた。
(注)ドライブレコーダーの「月日」と「時刻」は大体合っていますが、
「年」の設定が1年狂っています。2011年です。
屋島ドライブウェイの入口でST165セリカに遭遇。三河ナンバーだった。
屋島ドライブウェイの途中にある「ミステリーゾーン」。上り坂なのに下っているように見えるそうな…。
屋島山上駅に向かう途中の案内板。歴史上有名な場所だったみたいだ。案内板の隣には廃ホテルがある。
廃線となったケーブルカーの屋島山上駅。構内には車両も残されているようだが、入らなかった。
昭和4年。
NTT西日本高松診療所。昭和37年。高松市観光町679−8。山田守。
建築ガイドに載っていた、美しいデザインの建物。
旧大阪商船高松支店。昭和3年。高松市玉藻町。
百十四銀行高松支店。大正15年。高松市丸亀町15−7。
香川県立農業試験場。昭和5年。高松市仏生山町。
鎌田共済会郷土博物館。大正11年。坂出市本町1−1。
商店街に向かう道。左の建物に装飾が見られる。
坂出の商店街。シャッター街だ。そして、その中にある百十四銀行坂出支店。
角本金栄堂。昭和7年。坂出市元町1−10−22。
商店街を抜けたところにあるレトロな建物。
上の建物を撮ろうとして道路を渡ったら、こんな案内看板が立っていた。人工土地?。
階段を上ってみよう。可愛い子犬と、やる気のない猫がいた(笑)。
階段の上はこんな感じ。道路があって、集合住宅が建ち並んでいた。
下から見上げるとこんな感じだ。昭和43年に造られたらしい。
丸亀に来た。駅の近くにある不思議な家。和洋折衷だな。
目的の津坂洋服店は奥の更地にあったんじゃないかなぁ。発見できず、撤収した。
旧楽天堂医院。大正1年。多度津町元町。
山本医院。昭和6年。多度津町大通り。
上に掲載した旧楽天堂医院の向かいに建っている。
下高瀬簡易郵便局(旧丸岡呉服店)。昭和10年。三野町下高瀬乙井533−2。
ホテルから離れた駐車場に向かう途中の右折待ちで、前から路面電車が走ってきた。
利用した「松山ミレニアホテル」。右は翌朝に撮った外観。
2日目はまず、路面電車で中心部に移動し、歩いて観光した。
愛媛県庁。昭和4年。松山市一番町4−1。木子七郎。
前にも見たことのある、愛媛県庁舎。個人的に、ドーム屋根は好きではない。
バスマニアでもあるので、路線バスを撮影。新しいバスはあまり好きではない。
愛媛ナンバーの古いバージョン(左)と現行バージョン(右)。左の崩れた字の方が面白いのにな。
松山地方気象台。昭和3年。松山市北持田町102。戸村秀雄。
敷地内には計測機器がたくさん並んでいた(右)。
地方気象台の近くでたまたま見つけた建物。使われているのか不明だけれど、
螺旋階段といいガラスの階段室といい、素晴しいデザイン。
愛媛県教育会館。昭和12年。松山市北持田町131−1。浅香了輔。
洋風の建物に和風の屋根が載っている、「帝冠様式」の建物。僕は丸窓が好き。
大通りを歩いているときに目に留まった変わったデザインの建物。遊び心のある装飾は大事だ。
萬翠荘。大正11年。松山市一番町3−3−7。木子七郎。
僕が好きなのは昭和初期のコンクリート建築だけど、これも悪くはない。お洒落だね。
松山市内を走る路面電車。偶然やってきた「坊ちゃん列車」。これまた僕の好きなデザインではない。
ふと原付を見たらナンバープレートが雲形だった。「坂の上の雲」が由来。知っていたけど、見るのは初めて。
撮りたかった新田高校の建物はこれではない。悔しいから敷地を一回りしてややレトロな校舎を撮影した。
屋上の管制塔(ではないだろうけど)が素敵。
株式会社山谷。大正。松山市三津。
石崎汽船のすぐ近くに建っている。
石崎汽船。大正15年。松山市三津1−4−9。木子七郎。
愛媛県庁や萬翠荘と同じ設計者とは、このページ製作中に知った。
ぶらぶら歩いていたらたまたま見つけた看板建築の個人宅。正面はお洒落だね。
松山空港の近くにある「掩体壕(えんたいごう)」。歩いて回れる範囲に3個が残っている。
まずは1つ目。左の写真、裏側からアプローチ。期待が高まる。
正面に回ったら、綺麗な個人宅の庭にはみ出していた。これでは住みたくなくなるだろうな。
というか、こんなところに家を建てるなよ(笑)。
別の場所にある2つ目。撮影しにくい場所にあるため、側面のみ。
3つ目。道路を作るために無理やり削ったみたいだ。それにしてもカッコイイ!。
高知には7個もの掩体壕が残っているようなので、楽しみだ。
内子に向かう途中で見つけた団地。グーグルマップで見てみたら、東レの社宅のようだ。
白い建物は内子町児童館。明治12年の建物を昭和58年に改修。
隣に建つのが町立図書館(旧内子警察署)。昭和11年。こちらの建物の方が好き。
梅美人酒造。前の道路が狭いため、良い写真を撮れなかった。
昭和6年。八幡浜市1557−2。
旧向灘郵便局。昭和7年。八幡浜市向灘高城。
教会に向かう途中で見つけた古い建物。看板がお洒落だ。
日本キリスト教団八幡浜教会。昭和6年。八幡浜市本町。W.M.ヴォーリズ。
伊予銀行八幡浜支店。昭和11年。八幡浜市380−1。
通り過ぎたので、駐車場から歩いて戻って撮影した。
旧土豫銀行。昭和5年。御荘町平城。
この日の夕食はネットで調べたラーメン屋「いまどき安兵衛」。ラーメン500円、餃子420円。
2泊目は「西鉄イン高知はりまや橋」。「はりまや橋」は結局見ないまま。
右2枚は翌朝に撮影。路面電車の停留所の目の前。1階にコンビニがあって便利だし、綺麗だった。
百足屋社屋。昭和26年。高知市はりまや町3。
このムカデの社紋(?)が素敵。元々は足袋を作っている会社だったとか。納得(笑)。
歩いている途中で見つけた看板。方言がいい味出している。意味は分からなかった。
帰宅後に調べたら、「味が薄い(頼りない、弱々しい)のは、いかん」ということらしい。
高知県立追手前高校。昭和5年。高知市追手筋。
旧県立第一中学校だそうだ。時計のある鐘楼(?)が目立つ。
中島町カトリック教会。高知市本町5−6−25。ロバート・ギル神父。
高知市立第六小学校。昭和9年。高知市升形。
織田歯科医院。大正14年。高知市升形4−14。
門柱もお洒落、あちこちにつけられている装飾もお洒落。
高知市内を走る路面電車。行き先が「ごめん」ってのは謝りながら走っているみたいで面白い。
ここからは車で移動。立体駐車場から出たところ。誘導してくれたホテルマンと、路面電車。
高知県立高知小津高校。昭和7年。高知市城北町。
門柱もレトロだ。
旭西部公民館(旧高知市水道局ポンプ舎)。大正14年。高知市本宮町。
さて、ここからが今回のドライブで一番印象に残った、高知龍馬空港の近くにある掩体壕。
7個の掩体壕が、歩いて回れる範囲に点在している。
これは撮影順ではなく、案内板の番号順に掲載する。
掩体壕見学者用の駐車場があった。これには驚いたし、とても嬉しかった。
駐車場の脇に立つ案内板。配置図と解説がとても分かりやすい。
1号掩体の写真。上の段の右の写真、奥に見えるのは4号掩体。
下の段の左の写真、右に見えるのは2号掩体。たぶん(笑)。
2号掩体の写真。駐車場のすぐ目の前なので、車を入れて撮影できる。
上の段の右の写真、3号と7号が見えるのかな?。
裏側から見たら、駐車場に止めたゴルフが見えた。
3号掩体の写真。県道から見えるところにある。これも、帰りに車を止めて撮影。
下の段の写真、手前が3号掩体、奥が2号掩体。
4号掩体の写真。大きな掩体壕だ。あぜ道を通って正面に行き、中を覗いてみた。
5号掩体の写真。農作業車の車庫になっている。
上の段の左の写真、奥に見えるのは7号掩体。
近くにある高知龍馬空港。管制塔、飛び立つ飛行機、7号掩体。
6号掩体の写真。下の段の写真、左に7号掩体が小さく写っている。
7号掩体の写真。唯一、中を通り抜けられる掩体壕。
車が通れる幅の道路がある、ということは、ゴルフを移動させるに決まっているでしょ(笑)。
下の段の真ん中と右がドラレコの画像。下の段の真ん中の写真、目の前のT字路で向きを変え、
バックで入っていった。しゃがんでいるのは撮影中の自分(笑)。
大満足で次の目的地に向かった。
旧高知県電気局庁舎。昭和2年。南国市。
サッシが残念だけど、立派な建物なのに情報が少ない。立田駅のすぐ北にある。
旧黒岩デパート(旧美人座)。昭和5年。安芸市本町1丁目。
1階部分には手が加えられているけれど、アールの付いたこういう建物が僕は好き。
室戸岬までやってきた。室戸スカイラインを南側から上ると、間もなく見えてくる要塞。
廃墟「スカイレスト・ニューむろと」。
ドライブの計画を立てているときに、たまたまグーグルマップ上で写真を見つけて知った。
内部の探索はしなかったけれど、機会があればじっくり見てみたい建物だ。
室戸岬灯台。まぁ、せっかく来たので灯台まで歩いてみた。天気が良ければなぁ…。
灯台の手前にある最御崎寺。旅の安全を祈った。
室戸岬の先端に立つ銅像は、坂本龍馬かと思ったら中岡慎太郎だそうだ。
途中で見えてきた、鹿岡鼻の夫婦岩。
海陽町あたりだろうか、規則的に建ち並ぶ団地のような建物が気になった。
なんとか徳島までたどり着いた。ホテルに荷物を置いて、夕食を食べに行った。
ネットで調べた「阿波屋」へ。酢橘(すだち)がついてきた。
「東横イン徳島眉山口」。駐車場が満車で、案内された地下駐車場はだいぶ離れていた。
左は室内、右は翌朝撮った外観。
まずは歩いて観光する。徳島で一番見たかったのがこれ。国登録文化財だ。
三河病院本宅。昭和5年。徳島市富田浜4。木内豊次郎。
屋根の上のガーゴイルが面白い、ということを帰ってから知った(笑)。
旧高原商店社屋。昭和7年。徳島市東船場町1。鈴木禎次。
改修して活用されているようだ。それにしても、この狭くて急な階段は上りたくなる。
旧高原商店社屋を通り抜けると、川沿いに出る。何かイベントをやっていた。
みずほ銀行徳島支店(旧第一勧業銀行徳島支店)。昭和4年。徳島市東船場町1。
旧高原商店社屋のすぐそばにある立派な建物。
この建物もいいなぁ。側面の小さな窓が素敵。左手を見ると、眉山がそびえている。
橋の上から振り返る。宿泊したホテルが見える。
中央のやや左に建つ黒い建物が、旧高原商店社屋と一体になっている「TiO-TAKAHARA」。
川に面した側は新しい。
スターハウス第1弾。眉山の麓から少し歩いたところにある「県営住宅寺町団地」。
珍しい「ダブルスターハウス」だ。
ホテルに戻る途中で見つけた、変わった建物。ややレトロだが、使われていないようだ。
車で移動。
徳島県立文書館(旧徳島県庁)。昭和5年。佐野利器。
古い建材を再利用して建てられたものらしい。「ぶんしょかん」ではなく「もんじょかん」。
スターハウス第2弾。県営津田乾開団地。
スターハウス第3弾。城ノ内団地。スターハウス1棟と、羊羹型が1棟。
これは、グーグルマップを適当に動かしていて見つけたもの。
羊羹型の方も、通路側の窓が異様に大きい。こういう味のある団地が少なくなってきている。
さらば四国!。大鳴門橋を渡って、名古屋に向かってひた走る。
しかしゴールデンウィークだから、そう甘くはないんだな。
淡路S.Aを出るところから大渋滞が始まった。
垂水JCTから阪神高速3号神戸線に入った。この先も大渋滞が待ち構えている。
西宮からは順調で、京滋バイパスを経由して新名神に入った。土山S.Aを出たところの画像。
ここからもひどい渋滞だった。
亀山JCTがこの時間、四日市JCTがこの時間。
無事に家に着いたが、この時刻(3時半)。走行距離計はこのようになった。